施術士のプロフィール

Yuko 

北野(海野) 祐子

1970年代 千葉県市川市生まれ みずがめ座 A型

IBA認定ボディートーク施術士(CBP)


物心ついた頃から生きづらかった。今まで生きてきて、何で私にばかりこんな事が起こるのだろう とか、何で私はこんなにも人とは違うんだろう とか、そんな風に思って生きてきました。

今から9年前、ボディートークと出会ったのをきっかけに、不思議な世界に足を踏み入れるようになりました。
エネルギーや意識といった目に見えないものを扱うようになり、スピリチュアルな事柄に意識が向くようになりましたが、本当の意味でスピリチュアルな(精神的な)学びにフォーカスするようになったのは、割と最近・・ここ3・4年のことかもしれません・・。

人があまり経験しないであろう出来事も、数多く経験してきたと思います。

”普通だったらアウトだよね” というような絶体絶命な状況にも幾度か遭遇してきましたが、でもなぜかその度に奇跡的な事が起こり助かるのです。過ぎてしまえば、まるで細い綱を渡ってきたかのように。でも無事に向こう岸に辿り着いている。

何度かこんな経験を重ねるうち、この世界は自分の認識をはるかに超える何か大きな力が働いている、そして本当に大丈夫な事しか経験しないということを、もっと言ってみれば 宇宙の法則とか真理 とでもいうものを、自分の体験を通して学んできました。学ばされてきました。

そんな学びを深めていくと、だんだんと、今まで生きてきた大変だっだこの人生も、全て自分が望んでそうしたんだったって事に気づくようになってきました。

するとオセロの黒が白に変わるように、私の世界がパタパタと変化していき・・

そして、今まで恨んでいたものや憎しみをもっていたもの、許せないと思って軽蔑さえしていた母、そして自分自身のことさえも、愛しく思うようになりました。


☆☆☆

世の中多くのセラピー、多くの施術者がいるけれど、自分がこのような経験をしてきたからか、
私の元へは、感情的・精神的なトラウマを抱えた方や、人生を変えたい方、変化のエネルギーを求める方や、スピリチュアルな事への興味を持った方々が多くいらっしゃっています。


以下、お時間(&興味)のある方だけ・・・


私の人生の略歴

【~10代】

繊細で変わった子供時代。「この世に本当に生きているのは自分だけ」「自分以外は全てフェイクで自分が見ていないときは存在しない。そんな中でさもリアルに生きている私をどこかで誰かが見て笑っている」そんな風に感じていた。

世の中にはあまり上手に馴染めず、宇宙人とかロボットとか言われ、よくからかわれる。
友達は多くはないけれど、いなかった訳ではない。そんな私を、母は「ザ・ダメ人間の作り方」のお手本のような育て方をし、「あんたは何にも出来なくて、みんなから嫌われていて、今も誰かがあんたの悪口を言っている」そんな風に言われ続けて、私はある意味 母の望み通り、無価値観と劣等感の塊の大人に成長した。

【20代】

弟が事故により頸椎損傷、障害者になる。

25歳の時、大失恋をする。恋人が他の人と結婚して海外に行ってしまった。世界がモノクロになった。

弟に続き、今度は父が転落事故で脊椎損傷、車椅子生活の重度障害者に。

精神的ストレスが続き、婦人科系の機能がバランスを崩し、20代後半から5年間、産婦人科に通いホルモン剤漬けになる。

【30代】

それまで勤めていた会社から、IT業界へ転職。激務とプライベートのストレスにより、円形脱毛症→過呼吸→うつ病へと変化していった。途中、休職もしたが、2年足らずで働けなくなり退職した。

療養中、初めて沖縄に行った。1週間の滞在で、心身共にかなり癒され、それ以来沖縄は私の特別な場所となった。
また、この時ふと思った事が、私が後々セラピストになる原点だったと思う。

うつを持ちつつも、派遣でプログラマーの仕事をして、色々な職場で働いた。37歳くらいから鬱はほぼ良くなった。

39歳の時、8年間飲み続けた向精神薬をついに完全断薬。が、その2週間後から数々の奇怪な症状が現れる。
職場でパワハラに遭っていた事も重なり、仕事にもまともに行けず、ただ天井を見て過ごすこと2週間。手だけは動かせたので藁にも縋る思いで、ネットでこの症状が楽になれる情報を検索し続けた。
ある日「ボディートーク」というキーワードを目にする。

直感だった。自分が利用者側という立場で検索したけれど、そのページを目にしたとき、「あれ? 私、これ、やりたかったんじゃなかったっけ・・?」と、そう思ったのだ。その翌日、職場から派遣切りを宣告される。

その数か月後、本当にCBP(認定ボディートーク施術士)になった。
(もちろん体は元気になりました。最初の1ヶ月で症状の9割は消えていました。)

そして同じく39歳の時、5年間同居していた相方と入籍した。

その数か月後、ささやかにひっそりと、2人して大好きだった宮古島で挙式をした。
その日の日記には、「生まれてから今までで一番幸せな日だった」と書いた記憶がある。

【40代】

ボディートーク・ルーム「EzeVillage」設立。セラピスト活動を始める。
以降、数々の学びの出来事を経験するようになる。変化の連続の人生の幕開け。

2013年、真面目な堅物と思っていた旦那の多額の借金(+女)が発覚。まさに晴天の霹靂。だが、二人三脚で生活を立て直そうと決心し、拠点を都内から千葉に移し、セレブ(とは思っていなかったが)風生活から、一気にどん底(風)生活に。食べるものにも苦労し、シャンプーすら買えなかったけど、実はそれも結構楽しかった。

その1か月後、この世で唯一の(魂的に)仲間と思っていた父が危篤状態に。翌年7月に他界。
怖気づいて介護放棄状態だった母に代わり、最後の半年間実家に住みこんで管だらけになった父の看護をし、自宅で看取った。その間、何度も父の奇跡と、人の肉体の最後と魂の姿をリアルで見せてもらった。

それから2年後。借金は当初の半分にまで減った。この調子でいけば、あと2年もあれば完済できる・・! 、、ハズだった。

が、旦那がまた同じことを繰り返した。(事が発覚した)

1秒で離婚を決意した。


現実的な面を何も考えずに行動に移したので、離婚した後、これからの生活が困難に満ちていることに気づき、青くなった。

その3か月後、一般的には私の状況では不可能と思われることだったようだが、私は毎月決まった収入のある仕事を得て、駅近かつ私に心地の良い家に引越しをし、サロンもリニューアルオープンさせていた。


相手を嫌いになったわけじゃない、嫌われたわけでもない、離婚はとても痛みを伴う経験だったけれど、私の今までの人生で一番の愛び(まなび) となりました。今、元夫には感謝と愛しさしかありません。


☆☆☆

それからも学びの日々ですが、今だから思うことは、私はジェットコースターが大好きだったってこと。(笑)

いっぱい悲しんだり、憎んだり、泣き叫んだし、怒り狂ったりしてきたけれど。自分の人生に震えあがったりしてきたけれど。
それら全て、自分がドラマ仕立てに創りあげて、それを楽しんでいたってこと。

それに気づいてから、ドラマは卒業することにして、、、
これまでとは違った人生を・・創造中です♬

まだ旅の途中ではありますが。^^

2019.6月 yuko